が見つかった」
「すると君は、その二時間十分の間に、靖子と石神によって殺害が行われたと考えているわけだ」
「死体遺棄も行われたかもしれないが、時間的に見て、靖子は石神よりも先に現場を立ち去った可能性が高い」
「殺害現場はどこだ」
「それはわからない。どこにせよ、靖子が富樫を呼び出したのだろう」
湯川は無言でマグカップを傾けた。眉間に皺が刻まれている。納得している顔ではなかった。
「何かいいたそうだな」
「いや、別に」
「いいたいことがあるなら、はっきりいえよ。俺の意見はいったんだから、今度はおまえが話す番だ」
草薙がいうと、湯川はため息をついた。
「車は使われていない」
「えっ」
「石神は車を使っていないはずだといったんだ。死体を運ぶには車が必要だろ――彼は車を持っていないから、どこかで調達してこなきゃならない。証拠の残らない車を、痕跡の残らない方法で調達する手段を、彼が持っているとは思えない。ふつうそんなものは、一般人の誰も持っていない」
「レンタカー屋を虱潰しに当たるつもりだ」
「御苦労様。絶対に見つからないことを保証する」
この野郎、という思いで草薙は睨みつけたが、湯川は素知らぬ顔だ。
「もし殺害現場が別なら、死体運搬役は石神だろうといっただけだ。死体の見つかった場所が犯行現場だっていう可能性も十分あるさ。何しろ二人がかりだから、何でもできる」
「二人がかりで富樫を殺し、死体の顔を潰して指紋を焼き、服も脱がせて焼き、そうして二人して徒歩で現場を立ち去ったというわけか」
「だから時間差はあったかもしれない。とにかく靖子は映画が終わるまでに戻らなきゃいけないからな」
「君の説によれば、現場に残っていた自転車は、やはり被害者自身が乗ってきたもの、ということになるな」
「まあそうだな」
「で、それについた指紋を石神は、消し忘れたということになる。あの石神がそんな初歩的なミスを犯したのか。ダルマの石神が」
「どんな天才だって、ミスはするさ」
だが湯川はゆっくりとかぶりを振った。「あいつはそんなことはしない」
「じゃあ、どういう理由で指紋を消さなかったというんだ」
「それをずっと考えている」湯川は腕組みをした。「まだ結論は出ない」
「考えすぎじゃないのか。あいつは数学の天才かもしれんが、殺人には素人のはずだぜ」
「同じことさ」湯川は平然といった。「殺人のほうが彼にはやさしいはずだ」
草薙はゆっくりと頭を振り、薄汚れたマグカップを持ち上げた。
「とにかく石神をマークしてみる。男の共犯がいたという前掟が可能なら、捜査する内容も広がってくる」
「君の説によれば、犯行はずいぶんと杜撰ずさんに行われたことになる。事実、自転車の指紋の消し忘れ、被害者の衣服の燃え残しなど、手抜かりがずいぶんと散見される。そこで一つ質問したいんだが、犯行は計画的に行われたことだろうか。それとも、何らかの事情で、突発的に行われたのだろうか」
「それは――」草薙は、何かを観察するような湯川の顔を見返して続けた。「突発的なものだったのかもしれないな。たとえば靖子は、何らかの話し合いをする目的で富樫を呼び出した。石神はいわば彼女のボディガードとして同席した。ところが話がこじれて、結果的に二人は富樫を殺すことになってしまった――。そんなところじゃないか」
「その場合、映画館の話と矛盾するぜ」湯川はいった。「ただ話し合いをするためだけなら、アリバイを用意しておく必要がない。たとえ不十分なアリバイにせよ、な」
「じゃあ、計画的犯行だというのか。最初から殺すつもりで靖子と石神は待ち伏せしていたと」
「それも考えにくい」
「なんだよ、それ」草薙はげんなりした顔を作った。
「あの石神が計画を立てたのなら、そんな脆もろいものになるわけがない。そんな穴だらけの計画を立てるわけがない」
「そんなことをいったって――」そういった時、草薙の携帯電話が鳴った。「失礼」といって彼は電話に出た。
相手は岸谷だった。彼からの情報は重大なものだった。質問しながら草薙はメモを取った。
「面白い話が飛び込んできたぜ」電話を切った後、草薙は湯川にいった。「靖子には娘がいて、美里というんだが、その娘のクラスメートから興味深い証言がとれたらしい」
「なんだ」
「事件当日の昼間、そのクラスメートは美里から、夜に母親と映画に行くという話を聞いたらしい。
「本当か」
「岸谷が確認した。間違いないようだ。つまり靖子たちは、映画館に行くことを昼間の時点で決めていたということになる」草薙は物理学者に向かって頷きかけた。「計画的犯行、と考えて間違いないんじゃないか」
だが湯川は真剣な眼差しのまま首を振った。
「ありえない」重い口調でいった。
13
錦糸町駅から歩いて五分ほどのところにまりあんはあった。飲み屋が何軒か入っているビルの五階だ。建物は古く、エレベータも旧式だった。
草薙は腕時計を見た。午後七時を回ったところだ。まだ客はさほど来ていないだろうと見当をつけた。じっくりと話を聞くからには、忙しい時間帯は避けたい。もっとも、こんなところにある店がどの程度に混むかはわからないが、と錆の浮き出たエレベータの壁を見ながら彼は思った。
だがまりあんに入ってみて驚いた。二十以上あるテーブルの三分の一ほどが埋まっていたからだ。服装を見るとサラリーマンが多いようだが、職業不明の人種の姿もある。
「以前、銀座のクラブに聞き込みに行ったことがあるんですが」岸谷が草薙の耳元で囁いた。「バブル時代に毎晩通ってた連中は、今はどこで飲んでるんだろうって、そこのママがいってました。こんなところに流れてたんですね」
「それは違うと思うぜ」草薙はいった。「一度贅沢をした人間は、なかなか物事の水準を落とせないもんだ。ここにいる人種は、銀座族とは別だよ」
黒服を呼び、責任者から話を聞きたいのだが、といってみた。若い黒服は愛想笑いを消して、奥に消えた。
やがて別の黒服が来て、草薙たちはカウンター席に案内された。
「何かお飲みになりますか」黒服は訊いてきた。
「ビールをもらおうかな」草薙は答えた。
「いいんですか」黒服が去ってから、岸谷が訊いてきた。「勤務中ですよ」
「何も飲んでないんじゃ、ほかの客が変に思うだろ」
「ウーロン茶でもいいじゃないですか」
「ウーロン茶を飲みに、大の男二人がこんな店に来るかよ」
そんなことを話していると、シルバーグレーのスーツを着た、四十歳ぐらいの女が現れた。化粧が濃く、髪をアップにしていた。痩せているが、なかなかの美人だ。
「いらっしゃいませ。何か御用がおありだとか」抑えた声で尋ねてきた。唇には笑みが滲んでいる。
「警視庁から来ました」草薙も低い声を出した。
横で岸谷が上着の内ポケットに手を突っ込んだ。草薙はそれを制してから、改めて相手の女性を見た。「証明するものをお見せしたほうがいいですか」
「いえ、結構」彼女は草薙の横に腰かけた。同時に名刺を置いた。杉村園子と印刷されていた。
「こちらのママさんですね」
「一応そういうことになっています」杉村園子は微笑んで頷いた。雇われの身であることを隠す気はなさそうだった。
「なかなか盛況ですね」草薙は店内を見回していった。
「見かけだけですよ。この店は社長が税金対策でやってるようなものなんです。来ているお客さんたちだって、社長と繋がりのある人ばっかり」
「そうなんですか」
「この店なんて、いつどうなるかわかったものじゃありませんよ。お弁当屋さんを選んだ小代子さんは正解だったのかも」
気弱なことをいっているが、前任者の名前をさらりと出すところに、彼女なりのプライドが込められているように草薙は感じた。
「先日も何度か、うちの刑事がお邪魔したと思うんですが」
彼の言葉に彼女は頷いた。
「富樫さんのことで、何度かいらっしゃいました。大抵は私がお相手をしています。今日もやっぱりそのことで」
「すみません、しつこくて」
「前にいらした刑事さんにもいいましたけど、靖子さんを疑ってるんでしたら、見当違いだと思いますよ。だって、彼女には動機なんてないでしょ」
「いや、疑ってるというほどでは」草薙は笑顔を作り、手を振った。「捜査がなかなか進まないものですから、一から考え直そうということになったんです。それで、こうして伺ったわけでして」
「一からねえ」杉村園子は小さく吐息をついた。
「富樫慎二さんは三月五日に来ているそうですね」
「そうです。久しぶりだったし、何より、あの人が今さらここへ来るとは思わなかったから、びっくりしちゃいました」
「あなたは面識があったんですか」
「二度ほど。私も以前は赤坂で、靖子さんと同じ店で働いていたんです。その頃、会いました。当時はあの人も羽振りがよくて、ばりっとした格好をしていたんだけど」
久しぶりに会った富樫からは、その面影は感じられなかった、という口調だ。
「富樫慎二さんは、花岡さんの居場所を知りたがっていたそうですね」
「よりを戻したがっているんだなって思いました。でも、私は教えなかったんですよ。靖子さんがあの人に苦労をかけられてたってことは、よく知ってましたから。だけどあの人、ほかの女の子たちにも訊いて回ったんです。私、今いる女の子の中には靖子さんのことを知っている者はいないと思って油断していたんですけど、一人だけ、小代子さんの弁当屋さんに行ったことがあるって子がいたんです。その子が、そこで靖子さんが働いていることも富樫さんにしゃべっちゃったみたいで」
「なるほど」草薙は頷いた。人脈を頼りに生きていこうとすると、行方を完全にわからなくすることなど不可能に近いのだ。
「工藤邦明という人は、ここによく来ますか」彼は質問を変えた。
「工藤さん 印刷会社の」
「ええ」
「よくお見えになりますよ。あっ、でも、最近はあまりいらっしゃらないかな」杉村園子は首を傾げた。「工藤さんが何か」
「花岡靖子さんがホステス時代、彼女を贔屓ひいきにしていたと聞いているんですが」
杉村園子は口元を緩めて頷いた。
「そうですね。彼女、ずいぶんとかわいがってもらったみたいです」
「二人は付き合ってたんでしょうか」
草薙が訊くと、彼女は首を曲げ、うーんと唸った。
「そういうふうに疑っていた者もいましたけど、たぶんそれはなかったと私は見ています」
「といいますと」
「靖子さんが赤坂にいた頃は、一番二人の仲が接近していたと思うんです。でもちょうどその頃、靖子さんが富樫さんのことで悩んでて、どうやら工藤さんもそのことを知っちゃったみたいなんですよ。で、それからは工藤さんは靖子さんの相談役のような形になって、何となく男女の関係にまではならなかったようなんです」
「でも花岡さんは離婚したんだから、その後なら付き合うこともできたでしょう」
しかし杉村園子は首を振った。
「工藤さんはそういう人じゃないんです。靖子さんが旦那さんとうまくいくようにいろいろと相談に乗っておきながら、離婚したら付き合ったっていうんじゃ、元々それが目的みたいに思われちゃうでしょ。だから彼女が離婚した後も、いい友達みたいな関係を続けていこうと思ってたみたいですよ。それに、工藤さんも奥さんがいますしね」
杉村園子は彼の妻が亡くなっていることは知らないようだ。わざわざ教える必要もないと思い、草薙は黙っていることにした。
彼女のいっていることはおそらく当たっているだろう、と彼は思った。男女の関係に関して、ホステスたちの勘の鋭さは刑事のそれをはるかに凌駕りょうがする。
工藤はやはりシロだな、と草薙は確信した。となれば、次の用件に移ったほうがいい。
彼はポケットから一枚の写真を出し、杉村園子に見せた。
「この男性を知りませんか」
それは石神哲哉の写真だった。学校から出てくるところを岸谷が隠し撮りしたものだ。斜め方向から掃影したもので、本人は気づいておらず、どこか遠くに視線を向けている。
杉村園子は怪訝そうな顔をした。
「誰ですか、この人」
「御存じないわけですね」
「知りません。少なくとも、うちに来るお客ではないです」
「石神という人なんですよ」
「イシガミさん」
「花岡さんから、その名前を聞いたことがないですか」
「ごめんなさい。覚えがないです」
「この人は高校で教師をしているんですよ。花岡靖子さんの口から、何かそれに関係した話題が出たことはないですか」
「さあ」杉村園子は首を捻った。「彼女とは今でも時々電話で話をしますけど、そんな話を聞いたことはないです」
「じゃあ、靖子さんの男性関係についてはどうですか。何か相談されたとか、報告を受けたとかってことはないんですか」
草薙の質問に、杉村園子は苦笑を漏らした。
「そのことについては前に来た別の刑事さんにも話しましたけど、彼女からは何も聞いてません。もしかしたら付き合っている人がいて、私には隠してたのかもしれないけど、たぶんそうじゃないと思いますよ。靖子さんは、美里ちゃんを育てることで精一杯で、色恋に走ってる余裕なんてないんじゃないでしょうか。前に小代子さんもそんなことをいってたし」
草薙は黙って頷いた。石神と靖子の関係について、この店で何か大きな収穫を得られるとは元々あまり期待していなかったから、さほど落胆はしていない。しかし、靖子に特定の男性の影がなかったと断言されるのを聞くと、石神が靖子の共犯ではないかという推理にはやはり自信が持てなくなった。
新たな客が入ってきた。杉村園子はそちらのほうをちょっと気にする素振りを見せた。
「花岡さんとは、よく電話で話をしているとおっしゃいましたね。最近では、いつ頃話をされましたか」
「富樫さんのことがニュースになった日だと思います。びっくりして電話をかけたんです。そのことは前に来た刑事さんにも話しましたけど」
「花岡さんの様子はどうでしたか」
「特に変わったところはなかったですよ。もうすでに警察の人が来たっていってました」
その警察の人というのは自分たちだ、とは草薙はいわなかった。
「富樫さんが花岡さんの行方を調べにこの店に来たことについて、あなたは彼女に話してなかったのですか」
「話してませんでした。というより、話せなかったんです。彼女を不安にさせたくなかったし」
すると花岡靖子としては、富樫が自分を探していることを知り得なかったことになる。つまり彼が訪ねてくることも予想できなかったわけで、当然、殺害計画を練る余裕もないことになる。
「話そうかとも思ったんですけど、その時は彼女のほうが楽しそうにいろいろとしゃべるものだから、いいだすきっかけを失ったというのもあるんですけど」
「その時は」杉村園子の言葉に、草薙は引っかかりを覚えた。
「その時って、いつのことですか。一番最近に話をした時ではなさそうですね」
「ああ、ごめんなさい。それは、その前の時。富樫さんがうちに現れて、三日か四日後だったと思います。彼女のほうから留守電が入っていたので、私からかけたんです」
「それは何日のことですか」
「何日だったかなあ」杉村園子はスーツのポケットから携帯電話を出してきた。着信や発信の履歴を調べるのかと草薙は思ったが、彼女はカレンダーを画面に表示させた。それを見てから顔を上げた。
「三月十日ですね」
「えっ、十日」草薙は声を上げ、岸谷と顔を見合わせていた。「たしかですか」
「ええ、間違いないと思いますけど」
十日といえば、富樫慎二が殺されたとみられている日だ。
「何時頃ですか」
「そうですねえ、私が自宅に帰ってからかけたから、たぶん午前一時前後だったと思いますけど。彼女は十二時前に電話をくれたようですけど、まだ店が終わってなかったので、出られなかったんです」
「どのぐらい話しておられましたか」
「あの時は、たぶん三十分ぐらいだったんじゃないでしょうか。いつもそれぐらいです」
「あなたのほうからかけたんですね。彼女の携帯電話に」
「いえ、ケータイじゃなかったです。家の電話にかけたんです」
「あの、細かいことをいうようですが、するとそれは十日ではなく、十一日の午前一時頃という意味ですね」
「ああ、そういうことですね。正確にいうと」
「花岡さんの留守電が入っていたということですが、どういった内容だったんですか。差しつかえがなければ、教えていただきたいんですが」
「だからそれは、用があるから、お店が終わったら電話がほしいというものでした」
「で、その用件というの